患者様の声
長年の悩みが、鍼治療で改善しました。
(東京在住 パタンナーさん 52歳)
18歳で発病。
あまり頑健なほうでなかった私が、奇妙な発疹に悩まされ始めたのは18歳の時でした。
最初は、医者に行くことすらためらわれ、売薬で治そうとしましたが駄目で、意を決して行ったのが
近所の内科医。診断の結果は、「思春期のせい」と言うことでした。
塗り薬や内服薬をもらいましたが、いくら立っても発疹が繰り返し繰り返し出てくるだけで、痛みも伴ってきたため「これは大病院へ行かなければ」と、順天堂付属病院、日大病院、東京医科歯科病院など、次々と大学尿院を訪れました。
ところが、「単なる紅斑ですね」とか、「関節が痛いのだからリュウマチ、関節炎」と言う診断でした。しかし、繰り返し出てくる紅斑や、口内炎も相変わらずで、さらに薬の投与による薬疹にも悩まされました。
「皮膚科の良い先生がおられる」と言うことで、同愛病院を訪れたのが、最初に発疹が出来てから10年目のことでした。
この病院で、初めてベーチェット病の診断が下されたのです。
そこに至まで様々な症状に悩んだ私は、「就職してもまともに勤めることが出来ない」と思い、「好きな洋服で身を立てたい」と、服飾専門学校やデザイン学校に通いました。
卒業後も学校に残り、指導員の資格を取る傍ら、自宅で請負の仕事を始めました。
10年目の診断
同愛病院での10年目の治療で、症状はずいぶん軽減しました。
お陰で31歳の時に出産も出来ました。
ところが私にとって、出産は相当な負担になったんでしょう。
再び症状が頻繁に出てきました。
薬も大敵で、嫌な副作用に悩まされるため、症状が出てきた時に飲むように、自分自身でコントロールしていました。
粘膜や関節に紅斑が出ると、体や腕を動かそうとすることすら辛く、関節に出ると40度もの熱が出るため、仕事もなかなかはかが行きませんでした。
そうこうしているうちに、服飾業界もご多分に漏れず、不況に見舞われ、フリーの仕事がなくなり困っていたところ、それまでの仕事のおつき合いの会社から、お誘いを受け、48歳にして就職いたしました。それまでの仕事の疲れもあり、新しい勤め先で張り切ったこともあってか、
「手術をしなければ治らない」と言われるほどの酷い腱鞘炎になってしまったのです。
これがはたしてベーチェット病が原因なのかどうかは分かりません。
腱鞘炎を治したい一心で、鍼治療を受ける
いきなり「手術」と言われても、決心はつきません。
そこで、知人の薦めで、生まれて初めて鍼治療を受けることにしました。
「普通の鍼とは違う」と言われていましたが、どこがどう違うのか分からないので、
とにかく恐る恐る通い始めました。
ところが、毎週1回通って3ヶ月目にあの酷い腱鞘炎が治ってしまったのです。
鍼の上川路先生には、腱鞘炎の治療中もベーチェット病のことを、折に触れお話ししていました。
「治療を始めてから、疲れ方がそれまでとは違うな」と感じていただけに、先生の「ベーチェット病にも効果がある」とのアドバイスを、素直に受け入れることが出来、鍼治療を続けることにしたのです。
手術が必要なほどの腱鞘炎を治していただけたことで、鍼治療に対する信頼感がしっかりと生まれていたからでしょう。
こうして鍼治療に毎週通って1年、疲れにくくなったのは勿論のこと、しょっちゅう起こっていた鼻の粘膜の炎症もなくなりました。
いつも鼻が詰まっていた感じでしたが、ある日すぅっと通るようになったのです。
視力がアップ、体重も増えた
その上、1年がたつ頃には嬉しいことに視力が完全に良くなっていたのです。
ベーチェット病での恐ろしいのは「失明することだ」と聞いていましたので、それが一番心配でした。
それまでの視力は0.1~0.3で、メガネなしでは仕事をすることが出来ない程でしたが、鍼治療を始めてから1年で、0.6まで回復していたのです。
いつの間にか裸眼で仕事が出来るようになり、自分でも驚いています。
年齢から言えば老眼が進んでいても不思議ではありません。
でも、今は何のメガネもいらないので、友人達に「えっ、メガネをかけないで見えるの!」と驚かれています。治療の2年目は、月3回の治療を受け、今年からは月2回通っています。
今年で、治療を初めてからまる3年が立ちました。
悩みの種の紅斑も出にくくなり、出ても直ぐ消えるので、以前のように安静にする必要もなくなり、
痛みも和らいで、本当に楽になりました。
病院の方も引き続き通院していますが、血液検査でも異常はありません。
2ヶ月に1回の通院は気休め程度の感じです。
食欲も出て、鍼治療を始めた頃34KGのたいじゅうが今は42KGと、8KGも増えました。
発病以来30年、病気と共に歩む生活にも慣れたと思っていましたが、この頃では明らかに私から去って行きつつあることを実感しています。
「鍼治療で、ベーチェット病が治る」、私のささやかなでも大きな喜びを、1人の胸にしまっておくのは、あまりにももったいないと思い1人でも多くの同じ病気で悩んでいる方々に、「この喜びを共有していただければ」と、筆を執った次第です。
(これは、ベーチェット病友の会の機関誌に、投稿掲載された文章です。